対談者紹介

北川 理予 きたがわ りよ
3人の娘の母、大阪出身、2014年に癌を発症、西洋医学での壮絶な闘病経験も明るく話すお母ちゃん。治療方法を模索するなか、キネシオロジーと出会い、1キネ上級・潜在意識カウンセリング・音叉マスターを受講。

小竹 森也 こたけ しんや
某有名大学の建築学科を卒業後、建築系の職に就職するも、精神薬漬、12年間の引きこもり生活に陥る。自身で断薬をし、乗り越えて現在鹿児島のCafe∞Arcanaの店員として働く。2019・2020久米島合宿フル参加

今日はよろしくお願いします。
まずはじめに、りよさんの経験した「癌の闘病」について教えてもらえますか?

「 エイプリルフールの癌告知 」

私が大腸がんの宣告を受けたのが2014年の4月1日、エイプリルフール。
思わず「冗談でしょ!?」って先生に聞き返しました。
その検査ではステージ2 だから、腹腔鏡手術で取り、2週間で退院できる。という説明だった。
手術前検査を、その日のうちに済ませて、2週間後の4月15日に手術するということになった。
ところが、手術の前日にリンパ節への転移が疑われるので、開腹手術に変更された。開腹時に、出来る範囲でリンパ節を切除して、細胞検査に出すと伝えられた。結局、リンパ節を8ヶ所取った。
検査結果でリンパ節にも、やはり癌があったので、ステージ3と診断され、抗がん剤治療が必要だと告げられた。

抗がん剤治療についての悲惨な経験について耳にする事がありますね。
辛い上に、治療効果への期待値が薄いことなど、その問題点についてもよく伺います。
りよさんの抗がん剤治療の経験を教えてもらえますか?

「 薬に殺される、でも子どもを残して死ねない 」

抗がん剤がとっても辛かった。
聞いてはいたけど、実際、投与している時は、嘔吐どころではない。
例えば味覚障害。
感覚超過敏で、冷たいものに触れたら刺されたように感じる。
髪の毛もかなり薄くなったし、吐血、鮮血を吐くのは当たり前だった。
抗がん剤のせいで、動いては寝込む、の生活だった。

中でも薬に殺されると思ったのは、口から血の気の引く、変な色のものが出てきた、それが腸液だった。
同時期に、抗がん剤治療を始めた人が2人いたけど
残念ながら2人とも亡くなっていった。

その頃は、お医者さんのこと信用してたし、キネシオロジーも知らないし
「抗がん剤の8クールを終えれば生きれる!子どもを残して死ねない!」
と思って、抗がん剤治療に耐えた。

「 終わらない苦しみと再発の芽 」

抗がん剤治療後も、薬が細胞に蓄えられている状態が続いた。
それを体の自然治癒力が出してくれるのを待つしかない。
でも薬の影響で肝臓がダメになっていて、毒素を分解できず、身体中がむくんで腕や脚が曲がらなかった。
「抗がん剤が終わったのに、まだこんなに辛い思いを…」絶望感だった。
むくみは西洋医学的には排尿問題になり、利尿薬を飲むけど、全然おしっこも出ない。
減塩食を続けたけど、何を食べてもむくむ状況だった。
そして2017年3月に大腸カメラ検査を受けたら、ポリープ3つ見つかって、ポリープを採取して、その場で検査したところ、2個が癌化していた。
悪性腫瘍マーカーも上がっていて、抗がん剤治療後も再発の芽が出ていた。
さすがに、そこで西洋医学の治療に疑問を持ちはじめた。
その時に頭をよぎったのが、アトピーの子どもの事。
病院でどうにもならなくて、寝ずに天然酵母のパン作ったり、手作り石鹸を作ったりして、その努力でアトピーを克服した。
「私の癌の原因って何だろう?何か他に出来る事は無いだろうか?」と考え始めた。

 悪性腫瘍マーカー・・・正常な人、および対象となるがん患者の、体液(血液)などの測定値を元にする検査

りよさん、ありがとうございます。抗がん剤治療が終わっても再発して、身体中がむくんでいるなんて、聞いているだけで辛い経験ですね。
・・・。
では、次にしんやさんの引きこもり時代の事を教えて下さい。


 「 薬を飲み続けて精神状態を悪くしていった 」

僕は精神薬を飲み続けて26歳から12年間引きこもりだった。
小さい頃から意欲がなく、うつっぽい感じがあった。
やりたいこともなく、大学は、なんとなくカッコいいから建築学科に行った。
でも、卒業課題に意欲がわかず、卒業するのに精一杯だった。
まともな就活もせず、派遣で建築現場管理の仕事に就いた。
そうしたら、気の強い職人さんに囲まれる現場で、新卒の中間管理職という立場は苦痛だった…。

自己肯定感も低いから、人の言葉を間に受け、自分を責めて、要領良く出来なかった。
ちょうど3年目で、体が思うように動かなくなり、仕事も終わらず、自暴自棄になって、多量服薬の自殺未遂をした。

そのあと精神科に行くことになり「うつ」って診断された。
その時は「これで腕を振って休める」って安心した。

 

精神薬を服用した時ってどのような感じなのですか?

精神薬は、不安感が一時的に消える代わりに、異常にハイになった。
その間は娯楽にのめり込んだりした。
…でも
「30歳に近づくと就職も不利になるし、働かなきゃ…」という常識もあって
罪悪感で余計に身動き取れなくなった。

もし、あの時薬なんか使わず、休んで自分を見つめられていたら
好きなことを見つけられていたかも知れないと思う。
だけど、そのまま薬を飲み続けて精神状態を悪くしていった。

デイケアに通院している時も、他の患者さんと人間関係のトラブルを起こしたり、悪いことが続いて、余計に閉じこもるようになった。
ドツボにハマっていく感じがあった。

そんな、辛い状況に陥っていたお二人が
どのようにキネシオロジーとの出会ったのかを教えてください。

抗がん剤投薬後に、全身むくんでひどい状況のうえに再発の芽も出ている。
その状態で、医者には結局「自然治癒を待つしかない」と言われていた。
医学で限界だろうと思った。
それで模索していた時に、友人もアトピーの治療方法を模索していて、
彼がネットで慶太さんの動画を見つけた。
そして、イベントや講座の無料解放で見学したのが始まり。

精神薬を飲んで数年がたった頃、内海先生の情報に触れる機会があった。
「精神薬は覚醒剤みたいなもの」という言葉が衝撃だった。
ただ、家族に暴言を使う自分を振り返ると「確かに、そうかも知れない」と思った。

だから自分で薬を抜き始めた。1年半ほどかけて、ゆっくり薬を抜いた。

抜けるに従って、色んな不安感が出はじめた上に、離脱症状で動けなくなった。
自暴自棄な気分で、頭も働かない。

でも、仕事してない自分の事を考えると、恥ずかしくて友達ともすっかり連絡がとれなくなっていた。

10年以上通っていたカウンセラーにも、暴力的な振る舞いして「もう見れません」と断られてしまった。

こんな状況だったから、内海先生は怖はかったけど、勇気を出して短期合宿講座に行ってみた。
そこで、潜在意識の重要性について習った。
顕在意識は5%くらいで、普段は自覚が無い、潜在意識に自分がひっぱられていく。
内海先生と慶太さんのコラボ動画でも、潜在意識を見る手段としてキネシオロジーが紹介されていて、それで慶太さんに興味を持った。

内海先生…断薬を指導する日本で唯一の病院、上野東京DDclinicの医院長

お2人の経過と現状を教えて下さい。

慶太さんのアストロキネシオロジーセッションを受けた後の2018年10月、
血液検査の結果、肝機能、腎機能ともに改善があった。
お医者さんも「何したんですか?」って驚いていた。
そして2019年3月、慶太さんの広島リチュアルイベントから帰った次の日に、大腸カメラ検査したけど、ポリープもなく、悪性腫瘍マーカーも下がっていた。

肝機能、腎機能ともに、ほぼ正常値になった。
2020年4月のマーカーは、今までで、一番低い数値になった「ようやく本当に、再発の心配はないな」と感じる。

今、私の人生は癌の方に向いていないんだと思う。
キネシオロジーに出会わなかったら、また癌になってたと思う。

アストロキネシオロジーセッション…西洋占星術とキネシオロジーを組み合わせたセッション

ボウリングが長年の趣味だという理予 さん。回復後の現在は、月に 1、2 回ほど ボーリングサークルに参加しているそう。

引きこもっていた僕が、今は久々に家を出て働いています。
「働くよ」って親に話したら、喜んでくれました。
働く事が久々で、接客も経験がないから、頭が鈍っている自分を感じている。
でも、人の役に立ってみようと行動できている。

過去のことを振り返ると、精神薬ではなく、キネシオロジーや代替医療に早く出会っていたらと思いますね。

こだわりのご飯と一緒に占星術やキネシオロジーを体験で きる「カフェ∞アルカナ」引きこもり生活を乗り越え、現在そ こで働いているしんやさん。

やっと自分の足で歩みだしたね

自分では自覚が薄いけど、
周りから見て、明らかに良くなっている様です。
今はまだ自分の人生の目標を探しています。

キネシオロジーによってどんな気づきがありましたか?
そして、何がお二人を快方に導いたのでしょうか?

「自分を無下にした結果の癌」

キネシオロジーを通して、私の癌の原因は、自分に目を向けて生きてこなかった事だと知った。
例えば、ご飯も人がいたら、作る。でも自分1人なら、お酒だけ飲んで、食べずに寝てしまうタイプ。自分の事になると、どうでも良くなってしまう。

自分を大切にできない原因は、実母の再婚相手の父に遡る。
めちゃくちゃな人で、高校生の時、月に4・5万の私のバイト代も殆どを父に渡して、いつも手元には1万しか残らなかった。社会人になっても、給料の半分は父に渡していた。
父は母を2階のベランダから放り投げた事もあった。母はしょっちゅう殴られていた。殴られた母が脳内出血して、手術することになった。
母は意識朦朧としていても「あの人はそんなつもりはないんです」と言っていた。
そんな家庭で育ったから、昔からずっと「何か報われていないな」とは思っていた。
「人の為に生きてる」「自分の為に生きる」という違いが分かっていなかった。

去年の12月に田村社長にお会いした時、出会い頭に
「今まで人のために生きてきたよね」って言われたのが衝撃だった。

私の情報を何も知らないのに。心の中ではずっと父の影響が続いていた。

そして、年明け頃から「自分の人生とは?と自分を生きるって?やりたいことって何だろう?」って人生を考え始めている。
いきなり大枠で考えるのは難しいから、まずは今日、私は何をしたいか、
何食べたいか、小さいことから、もっと自分にわがままに生きてみようと思っている。

田村社長…齋藤慶太と親交の深いダイヤモンド会社「エイトスター」社長

「僕の潜在意識は母親を愛してる」

ずっと顕在意識と潜在意識がズレた状態で生きて来たと思う。
以前、キネシオロジー講座のデモンストレーションで「母親に愛してると伝えろ」と出た。僕の潜在意識はそれを望んでいた。

しかし、その頃の僕は、自分の悲惨な状態を、母の影響だと責任転嫁していて、母との関係が最悪だった。
「母に愛してる」と言うってのは、筋肉反射テストで出た結果だけど。
そんな事をするのカッコ悪いし、すごく抵抗があった。
でも、意を決して、その日のうちに面と向かって「愛してるよ」と伝えた。
そしたら、気持ちが解凍された感覚を覚えた。
潜在意識の声に従った時、自分の頭と心が統合される感覚を体験した。
「愛してる」なんて、それまでの僕の意識の枠組みでは、とても出来ない行為だし、嘘くさいとさえ思っていた。
でも、行動した時に、受講生の皆が「よくやった」って言ってくれた。
キネシオロジーをやってると、自分を深くみる必要がある。
表面的ではなくて、自分と向き合う事を認めてくれる空間にも影響されたと思う。


 

お二人にとってキネシオロジーとは、どんな存在ですか?

「病気は排除するものではないと気付かせてくれたもの」

闘病は、体はボロボロになって、とても辛い経験だった。
でも今は、必要な経験だったと思っている。
「悪はすべて悪ではなく、善もすべて善でない」と知って、病気も全部ひっくるめて私の人生で、病気は排除するものでは無いと思うようになった。

今もたまには体調不良になるけど、もし全快していたら、病気を忘れて、自分を見なくなる。
病気がある事で、意識を自分の方に向けられる。
症状は、メッセージをくれるものだと思っている。
病気に意味があるから排除しない、受け入れるもの。キネシオロジーを学んだことで、そう言う風に物事の見方が変わった。

「一番大切な、自分の意思を気付かせてくれた」

筋肉反射テストに代表されるキネシオロジーの技術は、潜在意識の深いレベルで「自分がどうすればいいか、どうしたいか」を教えてくれる。
占星術のネイタルも、潜在意識カウンセリングも、つまるところ「自分とは何か?」に対して、ヒントをくれるものだと思う。
でも、自分を見る勇気が無かったら、全部が機能しない。
引きこもっていた頃の僕は、仕事ではなく、自分から逃げたかった。今はそう思っています。
良い学校に行ったら知的で世間体も、お給料も良い仕事に就けて安心できる。そんな風に、人を枠組みでしか見ていなかった。
その時点で、すでに歯車が狂っていた。
結局学業も振るわず、条件の良い就職も出来なかった。社会人3年目で動けなくなった事も、潜在意識からのサインだった。
自分の弱さだと片付けて、引きこもりと精神薬漬けにまで発展させてしまった。
あの頃の僕には自分をそこまで見つめる勇気が無かった。

人生が変わったり、目標設定まで辿り着ける人は、自分をみる勇気がある人だと思う。どこかで自分を守っていると、大きな変化はやってこない。

ネイタル…西洋占星術の個人の特性などを表す出生図のこと

「自分と繋がれば、自然に本当の望みが分かる」

最初は、自分の潜在意識の声が分からなかったし、キネシオロジーに頼っていく感覚だった。
でも、久米島合宿に行ったような、筋肉反射テストに長ける人たちは、もはや軽々しく筋肉反射テストに頼らない。
何故なら、常に潜在意識が繋がっていれば、自分が深層からどうしたいかが分かるようになる。それが本来のあるべき姿だと思う。

僕は今、その途上だと思う。
だから、理予さんと一緒で、自分の感覚をもっと信じて、小さくは「何を食べたいか」といったことから、「これからどうしていきたいか」ということまで自分の声に耳を傾けている。
最近は料理教室に通い始めたり、自分にとって新しいことを試している。今までの自分が失っていた、誰かと一緒に何かを楽しむ感覚を取り戻そうとしている気がする。


癌や、うつに悩む人がたくさんいらっしゃると思います。
その方々にぜひ一言お願いします

「病気を受け入れて、原因を考える事が大切」

抗がん剤治療までして、生き残った私が、思うことは
「治さなければ」って思っている時はしんどい。

抗がん剤の投薬後、むくみのひどい時期に、塩味のない食事を作っても、改善せず手応えが無かった。「自然治癒を待つしか無い状態」と言われて、病院でも自分も出来る事が無かった。

でも、視点を変えて、代替医療やまだキネシオロジーに目を向けたら、まだ自分で出来る事があった。
キネシオロジーでは、自分がどれだけ病気の意味に気づき、行動に移せるかが問われる。努力次第で治せる範囲が広がる。
大切なのは”癌になったのを受け入れて原因を考える”こと。
西洋医療だけでは治らない。
だから、どんな方法でもうまく取り入れていくのが大切だと思う。
病気にも意味があるから、ただ、悲劇のヒロインになって時間を過ごすより
色んなことを試して自分の納得できる方法をみつけて欲しい。


「 思いもよらない答えがキネシオロジーにあるかもしれない 」

人それぞれ、必要なものは違うと思う。
でも、僕みたいに精神的に病んでいて、このHPに流れ着いたなら、チャンスの扉まで来たという事だと思う。
思いもよらない答えや、ヒントがキネシオロジーにあるかもしれない。
セッション受けてたり、講座受けたりして、僕はこうなったよ。
扉を開いて、踏み込むか、踏み込まないかは、あなた次第。

キネシオロジーは自分と向き合えるもの。
そして、大きく言うと命の循環と命に向き合う行為を含んでいると思う。
死は一般的にネガティブな言葉だけど。
もしあの時、私が癌で死んでいたら、来世で同じ宿題が残ったと思う。
キネシオロジーを通じて、今世で課題を1つ進められた。
色々な気づきを与えてもらったと感じている。
慶太さんのブログのタイトル「死と愛に一直線」この言葉がまさにそれを表している様に感じています。

なるほど。お二人の貴重な経験を伝えていただいて、感謝します。
ありがとうございました。


編集後記
今回の対談では、稀に見るほどに過酷な「どん底」を経験し、キネシオロジーと出会った2人にお話を伺いました。私の知人にも、精神薬で命を失った人、抗がん剤治療で苦しみながら亡くなった人がいます。西洋医学だけを信じ、薬によって死んでしまうのは悲しい出来事です。しかし、既存の価値や常識を見直し、正しい情報を選ぶ事は難しいです。病気の時には尚の事、焦りや不安が渦巻き難しいでしょう。
しかし、2人は自分を見つめ直し、回復を遂げました。改めて心の問題の影響力を気付かされます。広く視野を持ち、問題を解決する方法は存在するかも。あなたに合う色々な可能性を探して下さい。
2人の経験がみなさんの役に立つ事を願ってやみません。

2021.03.06 再編集 インタビュアー:ミノ